本質と、外から見た本質の姿

今まで、なぜ?と繰り返し問いを突き詰めて行った先に本質があると思っていたが、そうではないかもしれないと少し思った。

例えば何かを学習する際、手を動かす、というのは本質的なものなのだろうか。

今まではこれは方法論であって本質ではないと考えていた。

しかし、手を動かした先に経験がある。経験から人は学ぶことができる。ならば、そのきっかけを与える「手を動かす」ということ自体を学習の本質といってしまってもいいのでは無いか。

世に溢れる、ことわざや格言などについても同じようなことが言えるのかもしれない。

深い経験をした人が、その本質を例えるために表象の部分をいっていると思っていたが、その表象こそが本質と同等の意味合いを持っているものなのでは無いか。

その本質と表象を結び付けられる人にしか本質を感じられないという意味では、経験もない状態でどうやって結びつけるかは難しいところだが。